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2020.7.19


Twitterにも上げたデジタルで描いた絵を2点追加です。
このデジタルイラスト2点は、作画過程録画しようと思ったのですが、上手く録画できず。
ソフトはPhotoshop、描くのは小さい液晶ペンタブで。昔はPhotoshopよりOpencanvasってソフトの方を良く使っていましたが、最近はPhotoshopだけですね。 Opencanvas使っていたのが昔過ぎて、今は機能とか操作性とか全然違ってそうだな。
使用ソフトといえば、自分の場合はwindowsのペイント → PictBearとOpenCanvas → Photoshopと使ってきた。 PictBearは開発終了となっているけれどダウンロードはできるし、OpenCanvasは新しいのが出ているみたい? だいぶ前からのソフトが続いて残っているのはすごいなあ。そして懐かしい笑

そしていつの間にか7月も真ん中過ぎ。10月に予定している展示が近づいてきてますが、出来るのかどうかまだ不安な感じもありますね。 まあ、先のことはわからないので考えずに描きます。
もし、今後何かが起きて展示が難しくなっても、電気が通っていればネットで作品をお見せすることは出来ますし。 オンラインの販売とかも考えていますが、いいサービスが無さそうだし需要も無さそうなので保留。 それよりも制作が先だしな。

気持ちがぐたぐたとしてやりたいことが滞っていたので少しずつ向き合って制作していきます。



2020.5.31


前回に引き続き、SNSで「絵が上手くなりたい」という一文を見つけて、じゃあ「上手く」ってどういうような?ということをぼんやり考えていました。
去年の雑記にも書いていましたが、自分は昔は「形がきちんと取れている」が「上手い」というように思っていました。 それもまた良いと思うけれど、別の「上手い」を知らずにそれだけが「上手い」と思い込んでいるなら良くないなあ、 可能性狭めてしまっているのはもったいないことだよなあ、と現在では思うようになりました。「存在する物体だけ写真みたいに描く」とすると、抽象画が描けませんし。 一つだけの正解が全てだと思っていると他者の良さが解らずけなしたりするようにもなりかねないのかな、とも思ったり。

話はそれますが、自分が抽象画を描くのが難しいと感じるのは「形がきちんと取れている絵」ばかり意識していたからかも知れない。 だとしたら、もっと自由な発想力を教えてもらっていたらどんなの描いていたかな。小さいうちに摘み取られる可能性ほど、取り返しにくいものは無いのかも知れない。 ・・・とか、そんなことを思いましたが、提示された中で自分自身で選んだのかも知れないのでなんとも言えませんね。古い記憶は捏造しやすいですから。

話はそれましたが、色・形・迫力・世界観・構図とかとか、色んな「上手い」の基準があって、その中で自分が目標とするものを選び、 自分が必要とするものを得て、不要なものはとりあえず隅っこに置くっていうことを繰り返して「上手く」なっていくわけで。
自分の目標を達成するためにはあらゆる情報を整理する能力や結果に生かせる能力も必要で、それが無いならそれを手にするために努力しないといけないわけで。 どっかで躓いて上達しないのは何かをすっ飛ばしてやろうとしているからだったり、そもそもの目標地点が曖昧なのかも知れないなと。まあ、当然のことかもしれませんが。
考えて行動せずに、漠然と「上手く」ということだけを思っていたから良くなかったなあーと自分自身のことを思い返していました。
「目標のために何をどれだけ努力するのか」がちゃんと計画出来る人が強いんだろうな。 どんな努力も方向が間違っていたら遠回りでしかないし、全くの無駄にもなりかねないわけで。

そして何より「努力が出来る状態 = 環境やお金や体調などの条件が整っている状態」がすぐに手に入る人がその分早く先に進めたりする。 まず「努力が出来る状態」になるために頑張らなきゃならない人もたくさん居て、その中で諦めたり手放したりする他無くなる人も居るから「努力が出来る状態」って貴重。 でも、自分の持ち物だと気づかなかったりするんだろうな。今現在、自分もそうなのかも知れないし。

なんだか、こう書いていると結局、環境やらなんやらという初めの部分は「運」でしかないのかな?とも思えてきますが。 不平等でずるいなあとも思いましたが、そもそも平等が約束されている世界じゃないので、他人をうらやんだりするのは余分な思い込みでしかないか。 他者にあるなら自分にも与えられるべきと言っている・思っている時間は無駄でしかなく、何かを与えてもらえるほど立派な人間でもないので、 どんな状況下でも熱を持っているなら、それぞれの場所で持ってるもので何とか手放さずに続けるしか出来ないですね。 自分自身も、これからも手放さずに継続を選択し続けたいなあー。

思いつくままなので、文がまとまっていないですが、そんなことを考えてました。



2020.5.11


SNSを見ていて「絵に「いいね」がつかないから自分は下手だって感じる」というような投稿を見た。
そういう人は絵が好きで描いているわけではなく、絵に付く「いいね」が欲しくて描いているんだろうなー、 表現をしたい欲求よりも、承認欲求が先にあるのもなかなか大変そうだなーと思った。

自分は「絵が描きたい」があって、承認や反応はおまけ程度って感覚が近いかな。 まあ、自分も誰にでも見ることができる場所にさらしているから多少の自己顕示欲と承認欲求はありますが、 「いいね」は描きあがった時に自分で押しているようなものなので自分にとっては誰かの「いいね」は、なければならないほど重要ではない。 というか、重要視していたらとっくにサイトも閉めて止めてますね。
もちろん誰かが気に入ってくれたということはとても嬉しいことですが、それによって描きたくなったり描けなくなったりするものではなく。
「こういう方が楽しいかな?」と人を想って描くこともありますが、 自分にとって最終的な最重要事項は自分の「いいね」だけかな。そもそも、それがないと人目に晒せないですからね。

絵のことを書いてて思ったけど、引きこもるのは苦も無く永遠に出来るけれど、そろそろ美術館やギャラリーには行きたくなってきたかも知れない。 美術館の雰囲気、絵の大きさ、角度や距離を変えて見たりっていうのは、だらけた自分の部屋の画面越しでは感じられないからなあ。
今は、気長に待つという楽しみを味わっとこう。



2020.4.4


Twitterにあげていた絵を2点追加です。
前々からですが、2人組の絵が多いですね。ドクロ+生身。 全部が当てはまるわけではないですが、自分はドクロを「過去」のイメージとして描くこともあるので。 その画面に居る生身の人物の過去を骨として表現しているというか。内省的な絵ばっかりですね。

そして、最近ずっと家ですが、自分は元々インドアだったので苦にはならず。あえて言うならば、苦になるのは家に「独りじゃない」って部分かなと。
自分は家でも独りの時間が作れるのでいいですが、ずっと他の人間と同じ空間にいなければならない状態だったらきっとかなりイライラしてただろうな。 誰かといることが苦じゃない人や誰かと居ないと不安な人も、もちろん居ると思いますが、同じようにその反対側の人も居るわけで、自分は独りになりたい方。 って書くと「それはあなたがわがままなだけ」「我慢が足りない」っていう意見もあるかな。 そうかも知れません。が、そういう自分を認識して注意し、他者に迷惑や危害を加えないならそういう人間で在ってもいいんじゃないかと思う。

で、そんなわがままで我慢が足りない自分は日々のイライラする出来事やふと口に出そうな罵声は全て、LINEで自分一人だけのグループを作ってそこに投げています。 LINEだとグループを間違う可能性もあるのでメモアプリとかのがいいかも知れませんが使い勝手がいいので。
イライラは時間がたてば薄れるので、可視化しておくと後々分析が出来るのでそうしています。
ただ、これは自分自身のクズさの認識もするので、それで落ち込んでしまう人や思い悩む人はこの方法は止めた方がいいし、 その時のイライラした言葉を見返して感情が復活してしまう人も悪循環ですのでやめた方がいいですね。
単純にとりあえず吐きたいとか、後の分析目的だけで割り切れる人ならいいんじゃないかなーと思うけれど、どうなんだろう。 まあ、自分は日々の苛立ちをそんな感じで自分で消化してます。



2020.3.20


Twitterに挙げていたイラストを2点追加です。

自分の場合、描く骸骨はほとんどすべて、優しい子を描いているつもり。 肉の下にみんなが必ず持っているものだし、恐怖や死の印象ばかりというのも違うかなと。 生きるため体を構成する一部として、外側の肉と変わりないかなとか。 肉が骨を操っているっていう考えも浮かんだりして。

あとは、自分は割と定期的に電車や駅を描いているな。身近で資料写真見つかりやすいし、 多数の人が利用する場所っていうのは共感しやすかったりするからかな。 少し古い駅の見た感じのごちゃっとしたとことか、人が利用した汚れとかもいいし、 移動する・ある地点とある地点を結ぶっていうのも色んな意味付けができて好きなのかも。 そして、にぎやかなはずの場所に人がいないという絵面が好きなんですよね。 切なさもありつつ、独占して悠々としている感じもあって。「孤独」も楽しい部分がたくさんあると思うので。

そして、毎度サイトに絵を追加してみると、同一作者が描いた絵が並んでいると、共通する空気感があるのは面白いなあとか思います。 明るかったり・暗かったりの違いはあれど、ガラッと違うことはないかなと思うんですが。 自分の場合は顔が無いことと骸骨たちっていう共通項もあるのも大きいけれど。他の方から見るとどうなんでしょう。

依頼されて描くイラストや何も考えないで描く落書きであれば全然違うテイストになるけれど、 個人的な想いのある作品であれば、テーマは違えどその作者の空気感を含んだ、芯のブレない「意思」が見えるようなものがある方が素敵かなと思います。
まあ、気分で描いて気持ちいいのが一番とか売れる絵を描くとか個々で目指すものが違うのは大前提として、 自分が描くならそういう方向がいいなと思っています。



2020.2.24


早めにギャラリーをおさえました。また10月末・原宿のデザインフェスタギャラリー様にて。 息吸って食べて排泄してっていう「ただただ生きるだけ」ならば絵は描かないでもいいけれど、自分は「描かない自分」が嫌だから今年も展示します。
単純に描くことが好きだからっていうのも大きいですが、自分は「自分」に「描き続けてほしい」と期待しているから続けているのかなとかも思ったり。 何が自分にとって重要で、何に時間を費やすか選択するときに「絵を描く」を先に消して辞めた人もいるけど、自分はそうならないでほしいと思ってる部分がきっとあるなと感じて。 まあ、色々ありつつも時間が作れる状況にあるっていうのはやっぱり嬉しいことだなあ。

で、展示に関する詳細ですが、スペースと期間決まったぐらいです。
展示スペースは昨年と同じ場所にして、在廊なしで1週間ほど展示をする予定です。去年は2週間でしたが、今年は1週間でぎっしり詰め込もうかと。 去年同様、即売の小さい作品は多めに展示しておこうかなと思っております。
何度も展示はしていますが、まだまだ準備不足な点が見えてたんで、早め早めでやりたいことやり切りたい。

まだ先ですが、去年とどれぐらい違うのか・レベルアップ出来ているかを見に、お時間とご興味があればお越しください。



2020.2.5


更新。古いイラストの削除と去年の展示作品の追加です。

そして、今年も約12分の1が終わり。8ヵ月後には展示の予定。数字にしてまだまだだなと思うような、もうすぐのような。 こうやって未来のことは誰も知りえないけれど、それでも予定を入れて「生きるつもりでいる」わけで。 それが惰性になっていて幸運を実感出来なかったりもして。
常に背筋を伸ばして生きられるほどの精神力は無いけれど、メリハリ付けて自分なりにちゃんとやっていきたいものです。

そんな未来についてどうでもいいことを考えながら2021年度のカレンダーでも作るかなー、と思っていますが手で刷れるかな。。 やってみたいことは色々あるけれど実現までどれぐらいの時間がかかるかをちゃんと計算して実行しないと全部中途半端になる。

個人に与えられた時間は常に有限なので、いかに使い切るかを定期的に整理して動かないと駄目ですね。



2020.1.12


今年の年賀状イラストを追加。ネズミ。皆様にとってより良い1年となりますように。

そして、年賀状イラストはTwitterに下書きのメイキングGIFあげましたが、書いてみると意外と工程があるなあと自分で再確認。 ちなみに、そのGIFはこちら。

軽く自分の下書きの工程を整理してみると、下記の通りです。
・脳から出す ←アナログだったりデジタルだったり気分による。
・骨と肉を付けてみる ←デフォルメでも写実系でもまず服の下のラインを考える。
・きれいに整える ←この時点では良くないので書き直そうかと思ったが、とりあえず進める。
・メリハリ ←黒と白のバランスと線の強弱と勢いと何となくの影。
・影や色を考える ←細かくしすぎない。各色の割合など見ながら分割。
・版を考え色を分割 ←ステンシルに出来るように主線の色などを分割。
・さらに簡略化して版を制作 ←思い切って簡略化した方が格好良かったりする。
下書きはこんな感じです。このあと、版を色ごとに作って刷って完成。 「きれいに整える」あたりで全然良くなくて止めることもありますが、今回は押し切って制作したら割と気に入るものが出来ました。 版にして刷ると印象が変わったりもするんで、とりあえず手を止めないことも必要なのかなあ。 その結果、完成に至らず誰の目にも触れなくても「自分だけの作品」として糧にはなるだろうし。

あと、GIFでは省略しましたが「さらに簡略化する」の部分も結構悩んだりして時間取られる工程。
完成品と下書き見比べるとわかるんですが、下書きは描きすぎているなあという感じ。好みによるかもしれませんが、 自分はステンシルや版画にするなら必要な部分以外はざっくり簡略化させる方が潔くて好きです。
デジタルだと伝わりづらいですが、生で見た時に絵の具の盛り上がりとか、 紙の質感や下地の凹凸とかも作品の一部としてちゃんと機能してくれるし。 自分の作りたい作品は「写真みたーい」なものでもないし、あんまり描きすぎてるのは自分自身が「自分の作品」としたときに好みじゃないので。
制作工程についてはこんなところ。

最後に今年のこと。今年も変わらず一人で展示をします。「level:03」なので、3回目。「ルールがわかってきて、出来ないことも少しずつ分かってきた」ぐらいのレベルかな。 また、秋ごろにやる予定です。

自分の出来る限りで、また変わらず絵を作ります。
サイトやTwitterなど、お時間があるときにでもご覧頂ければ幸いです。本年もよろしくお願いいたします。



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