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2021.6.27


早くも7月。 展示に関してですが、10月、原宿Design festa galleryさんを予約しました。いつものハロウィーンと死者の日の頃です。
また、部屋でなく壁の一部を借りました。部屋を借りると常時在廊したりというのがどうしても難しいので。 接客対応してくれる人を見つけて展示とかもやりたいけれど十年後とかですかねー。
「level:04」に向けては、配布用ちらしの型抜きを始めるところ。あとは作品のためにラフを描いていきます。 今年は少し準備遅めですが、貸して頂いたスペースを最大限利用できるように詰めていきます。

以下、いつも通りのどうでもいい思ったことですが。
魅力的な要素が人間自身にあるから作品も応援したくなる、という図式は一定数あるよなあ、とか。 始めに作品が魅力的で作者を知ったらその人自身も興味深い人・好感が持てる人だった、というのもあるけれど。当然、逆に嫌いになることもある。。
そこからさらにコミュニケーションが成立するとさらに親近感が持てて継続的な応援につながるのかなあとか。今は手軽にSNSがあるし。
なので、作品をいかに売るかと単純に作品が作れれば良いというのは全然違うなあ、と思ったり。

自分の場合は絵を描く自分を養うために働いて、作品が売れるかどうか気にせず描けるような形で続けているので、 売るためのプロモーションってあんまり考えていないなあと。 あと、そうして働きつつも制作出来ている環境はとても恵まれているなと思います。
もちろん、売れるなら売れるで嬉しいですが今は積極的に売りこもうという気持ちではなくて。 それは衣食住に困っていないからなのか?と思えばそうなのかも知れませんが、単純に自信の無さと覚悟の無さかなもあるかな。

そのため、絵を描いていることが「趣味」と見えるのなら「そう見えてもいいですよー」ぐらいにしか思わないです。 自分が絵を描くことが他者にどう見られようが、作品と自分の関係性は自分で想っているだけでいいのかなと考えているので。
ましてや、何十年も繰り返していて、日常的なことなので、見た目通りに見て「息吸ってるね」と言われるのと同じぐらいなものかなあ、とか。 息を吸うためにどういう過程を経ているかなんて普通に話さないし。通りすがりの人間にわかるはずもなし。

ただ、人によっては真剣に向き合っている物を「趣味」と言われるのはすごく嫌なことかと。 「金にならないただただ楽しむための道楽だ」みたいな意味合いで投げかけてくる人は感じ悪い人だなーと思います。
他人の心情なんて話されないとわからない・話しても理解できないこともあるので仕方ないですが、わかりもしないのに、考察もせずに即判じてしまうのは良くないなあと。 わからないものは知ろうとすればいいし、興味ないならそっとしておく、のが良いのかなとか。
自分自身にも自戒として。。

あ、ちなみに自分の趣味はゲームです。やりたいPS4のゲームが積みあがっています。そして、いつか1本ぐらいはゲーム作ってみたいなと思います。



2021.5.23


描きかけのデジタルイラストはひとまず全て書き終えました。想定通りに5月中に出来たので、ここから10月ぐらいまで、 しばらくはアナログで展示用の作品にかかっていこうかと思います。とはいえ、まだ場所も借りていないのですが。 自分の中でやることだけは確定しているので、進みます。

アップした絵は自分が描くいつも通りの空気感で。静かに、かすかに、けど確かに光が在るような。
自分的に思ったよりも力強いイメージになったかなと思っていますが、鑑賞者の皆様で感じ方もそれぞれに見ていただくと嬉しいです。

先にあげたデジタルイラスト2点よりいつものアナログで描くイメージに近い感じに。これをアナログで描くとまた違って面白いんだろうなーとか。 デジタルだと完全2Dだから筆跡、色んなブラシやテクスチャ工夫したりして描くから、アナログとは全然違うんだよなあとか。 特に、ここ数年はアナログだと地をモデリングペーストで盛り上げて描くのが楽しくてやってるのでデジタルとの違いを大きく感じてます。
まあ、どっちも絵でどっちも楽しめているので、今後もそれぞれで描いていければと思います。
やりたいことがありすぎるのも困りますねえ。



2021.5.4


描きかけのデジタルイラストをとりあえず完成させましたが、修正して再度アップするかも知れません。
自分はアナログだと、そぎ落としたシンプルな絵を好んで描きますが、 デジタルだと余分に書きすぎている部分と描かな過ぎている部分のバランスが良くないかも。 見直しながらまた次を描いていきます。描きかけのデジタルイラストは残り1つ。5月中とかにあげられれば良いのですがどうだろうな。

今回追加したイラストに関して。「ぬいぐるみ」も割と描くモチーフかも知れません。 優しい印象を持たせることもできれば、不安を強調させる役割もできるので。
絵は違和感と不安があるのに「誰か」が居るから安心するようなイメージかな、と。 もしくは、それを眺める傍観者の視点。他にも色々と解は出せるかなーと思います。
通りすがるだけで、干渉されすぎないというのが居心地が良いこともあると思うので。 ある程度信頼があり、仲が良ければ干渉されても良いですが、それ以外だと対応に困惑しますから。
他者との距離感は難問ですね。



2021.4.17


イラスト追加。photoshopで描いたデジタルイラストです。去年の12月に描きはじめ、合間で描き続けてようやく。
絵の具で描く場合は途中の絵を壁に飾りながら乾かしたりしていて、 常に見える場所に置いてあるので、こんなに長期間で描くことはないのですが、デジタルだとデータ放置してしまいます。
常に見えると直すべき点やどう進めるかの案とか少しの時間でも考えることはできるからですかね。

そして、今回追加した絵は時間が経つと他人事のように、こんな絵を描いたんだなーと思うような絵かも知れません。
昔の絵や仕事を見返したとき、これは大変だったなーとかの思い出以上に他人事のような感覚もあって。 その感覚は、「昔、ただ同じクラスだっただけのクラスメイトの現在の様子を風のうわさで聞いた」ような感じだろうか。
過去現在未来は継続した延長線上にあるとしても、時々で切り離して見えるものでもあることを思ったり。

それは、動いている映像を1秒見せるためには何十枚かの静止画が必要だっていうことみたいな感じかな。 動いている物であれば1秒前と1秒後では違う画になるのは当然ではあるけれど、継続と変化は面白いなと改めて認識したり。

それは、廃墟や古いものが好きな要因の一つでもあるのかなあとか。
経年劣化・変化は自分自身の体でも起きていることであり、それが無機物とかでも同じように起きていて。 自分が見ていない間でも継続してそこに在って、同じ時間分の変化があって。 自分の過去が他人事のように見えることと、そこにあるものが時間を経て今に在ることとが同じような感覚なのかなとか。 スケールやすばらしさや価値なんかは置いておいて、、、時間だけは同じだけもらったのだなと。

あと、しばしば過去をガイコツとして描いて「切り離した過去が現在と在る形」を描くようになった要因でもあるかも? と、後付けの意味にこじつけたりして。

最終的に何が言いたいかというと、特に何もないのですが。ただぼんやり思ったことでした。
そのうちこれを種にして絵を描こうと思います。



2021.3.21


日常生活で切り売りできるような出来事は全くないので、他者をうらやむことについてぼんやりと思ったことなど。
当たり前だけれど。それぞれの人生の筋書きは違うので比べるのは無意味なんだよなあ、と。 本当に当然のことなんですが、たまに他者が上手に生きているように見えてしまって考えるんですが。

人生を舞台として見ると。
まず、公演場所として何千人も入る劇場か、数十人でいっぱいになる小劇場かで違ってくるし、ジャンルも喜劇なのか、悲劇なのかとかでも違うわけで。 そして、それらは好みの差はあるとしても、優劣が付けられるものではなくて、それぞれにメリット・デメリットがあるわけで。

生きているうちは常に進行している物語で、自分が過去に引いた伏線よりも、 良くも悪くも状況・環境を押し付けたり押し付けられたりしながら、その中で即興で芝居をしていけ、という状態なわけで。
少し期待できるのは、先の筋書きはある程度、変更を加えることは可能だったりするところか。可能性は低いことも多いけど。無いよりはまし。

他の舞台を羨むより、他の舞台を見て楽しんだり学んだりっていうことをする方が時間が有効活用できてる気はする。
羨むことで力を発揮できることも無くはないけど、弱っているとただただネガティブ思考になりがちだし、人によるよな。
あとは、時に目をふさいでもいいわけで。

自分は舞台・映画・ドラマ・マンガ・小説、あるいは他者の日常、あらゆる物語が、時にとてつもなく疲れる物でしかないこともあると思うので。
ただ、なんとか舞台からは降りずに居られるように、一度、暗転させるような。 幕間の休憩時間のような。(どうでもいいけれど「幕間=まくあい」を「まくま」と間違って読んでたりした)

真っ暗な舞台で、観客も居ないで、自分の心音と呼吸音だけというのもドラマチックと言えなくもない、かな。
それで同じ感性の誰かと出会いがあれば素敵。無くっても、画になるので素敵。かと。

また舞台も気軽に行けるようになるといいなーという連想から、取るに足らない雑文でした。



2021.2.28


絵を1枚追加。つい最近Twitterにもあげたデジタルイラストです。あまり時間をかけずに描いたものですが、可愛いので気に入ってます。

そして、今日で2月おしまいで今年はあと10か月。
明確な予定はなく、確約もなく過ごすのもだらけるので、そろそろ展示場所でも押さえてしまおうかとも思っています。 まあ、また「10月のいつもの場所」と思っているので、これも予定があるといえばあるのかな。 そのころも、まだまだ外出は気軽に出来ない気もするけれど、やるだけやっていきます。

そしてふと思い出したんですが、中学の頃に家から一歩も出ないで仕事したいと思っていたのが叶っているなあ、と。 とりあえず最小限の人間とだけやり取りして仕事するのがいいなーと思っていて。 マイペースに嫌いじゃないことでお仕事が頂けるのはとても幸運だなと感じます。
あとは周りの話で、老若男女問わず「化石かな?」ぐらいの考え方の人々と仕事してくたびれているのを聞いたりすると、 自分は人にも恵まれているなと。同時に自分自身が一番まともじゃなくて迷惑をかけていて申し訳ないなと思います。。
絵に関しては仕事になってないですが、続けられることが最大の幸福。

3月はもっとちゃんと描ければいいなあと思います。
描きかけのデジタルイラストも増えてきているのでぼちぼち完成させたい。 時間がたつほど完成から遠のいてしまうものも多いので。。 絵に関してもきちんとした見通しを立てて、とにかく完成までは進めたいものです。



2021.1.31


サイト更新。絵をいくらか整理してリンク切れの絵を繋げました。また、それぞれの絵にタイトル的なものも追加してみました。 展示の際には掲示しないものを、サイトのみで掲示していくのも良いかなと。

以前は、サイト掲載の際にほぼすべての絵にタイトルと浮かんだ言葉とをかいていたのですが、印象が固定化するかなと思い外していました。 そもそも明確な言葉から絵を描いては居ないので、無くてもいいかなとも。まあ、完結な言葉・単語ならばあまり気にならないかなと思い再度書いてみることにしました。
とりあえず今後はタイトルだけ書き込んでいこうかと思いますが、気が向けばまた関連した言葉も追加していきます。気が向けば。

そして、今年もやはり早そうで、1月が終わり。
「level:04」の展示を考えはじめていますが、まだぼんやりとしています。
また誰かと展示やってみるのも面白そうだなと思っていますが、思うだけで「誰か」も未定。 グループ展に参加したのは2016年ぐらいが多分最後かな?
「誰かと」ということは常に気を配らなければならない状態ということであって、 それを意識せずに出来る間柄の人か、もしくは諸々の配慮しなきゃならないこと以上にその人と展示をしてみたいとか、 その展示に出してみたいと思えないと出来ないかな、と。もしくは、ある程度の図太い神経を育てるとか?
考えすぎなくても良いのかも知れませんが、現状は「誰かと」は気が重いので、1人で気楽に自分の展示準備を進めます。



2021.1.3


2021。本年もよろしくお願いいたします。

今年の年始は寒中見舞いのイラストです。
ステンシルだとどれだけ簡略化するか、版・色を重ねるかを考えるのが楽しいですね。 色を混色して紫を作ってもいいのですが、いつものローズとホライゾンブルーを重ねる方向で。 ぴったりきっちりやったつもりでも、多少ズレが出てくるのが好きだったりします。
それは技量の無さが原因だったりもしますが、続ければ精度は上がっていくので、 いつか失われる現状の精一杯の不完全もいいんじゃないのかなと思います。 技量だけが全てではないですし。
ただ、それが自分が面倒がって妥協してできたものだったとしたら「その程度のモノ」でしかないですが。 精一杯の不完全だからこそ自分自身も好きになれるわけで、 自分程度が「面倒だからこの程度でいいだろう」と思ったものは他者にもばれると思うので。
せめて、選択肢がある中で自分自身で決めたことぐらいは手を抜かずにやり切っていきたいですね。

色々なことが変わる中で、今年も変わらずに描いていける1年となれば嬉しいです。
まだ外出時に気を遣う状態が続きそうですが、皆様が昨年以上に健康で良い1年を過ごせますように。



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