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2021.12.26


今年最後の日曜日だそうで。今年もありがとうございました!

何というか、今年の終わり、来年の始まりというのがだいぶぼんやりしています。
子供のころはもっと1日1日がはっきりしていて、別のもののように思っていて継続性を意識することは無かったのですが、 歳重ねるにつれて時間が継続していることを感じることが多くなり終わるとか新しいとか区切りを感じることは薄れているのかなとか。 それは生きることには慣れてきたということかも知れませんが、 相変わらず人間として他者に認識できる形で存在しなければならないのは難しいことなんだろうなあと感じます。
何はともあれ、出来るだけをやって年を今日を今を終わらせていくしかないですね、と他人事のようにも思いつつ。

そして、今年の最後の落書き追加です。展示の時に置いていたドローイングのポートフォリオに載せたやつです。
「そのうち」「そのうち」といいつつ、今後もちゃんと描けないままかも知れませんが、意思はあります。。 ちゃんとしてないのも自分は好きだったりしますけど出来れば筆でも描きたいなと。
そのうち時間が出来ることを祈りつつ、とりあえず現状版ということで載せときます。

また、面白いことは全然言えませんが来年も絵を描いていきますので、お時間とご興味があればよろしくお願いいたします。



2021.11.27


level04で展示した作品を追加しました。軽くどんなのか書いときます。

「open map」チラシ用のイラスト。「明るくしたいなあ」という漠然としたところがはじまり。 あとは毎年、ドクロと人間という部分は決めているのでそれにのっとり。
ゲームで言うなら、チュートリアル終わりでマップ持たされて放り出された感じですね。

「自我」向日葵とドクロの絵。展示作品並べて見たところ、インパクトがあるものが欲しいかなと。 ひまわり好きですねー。夏に見る生命力爆発してるっぽい感じが好きです。 来年は朝顔とか立葵とかにしようかな。 あと、これを描くにあたって、骨の男女・人種・年齢による違いなんかも軽く調べたり。 今後も色々勉強できれば楽しそう。

「非常階段」の2つセット。版を作ったのですが、地を凸凹にしすぎたためにほぼ筆での調整。 自分は作品によっては、3Dでざっとシーンを作り、ライティングして影の具合を見るようにしてます。 この絵もその方法です。頭の中で全部シミュレーションできればいいんですけど、まだまだ至りません。
あとは、他の絵と連動させて風船を飛ばしてもう少し賑やかにするつもりでしたが、そこは減らして現在の形に。 個人的にはこれぐらいが丁度良い情報量かなと思っています。
これぐらいの方が「舞台の端っこにも居ない、カメラの外の人」になれるかなと。 自分にとっては、それはネガティブな悪いイメージではなかったりします。

大体こんなところで。また追加していきます。



2021.11.13


展示から一週間ちょっと過ぎました。改めまして「level:04」ご覧いただきありがとうございました!
スペース的にも毎回展示する作品数は少ないですが、少しでも印象に残っていれば幸いです。
サイトにも展示の写真載せておきました。展示していた作品も少しずつサイトにアップしていきます。
そして、また来年。次で5回目です。
個展は5回目ですが、我ながら十代から描くことをずっと継続しているのは面白いなあと思います。
そして、やりたいけれど出来ていないことがまだまだありますので少しずつやっていくんでしょう。

あと、サイト下の方、作品のテーマ的なことも追加で書いておきました。
「誰でもあって誰でもない」人、モブキャラ・NPCである人々を描くことは今後も変わらないかな。 英文、勉強中なのでそのうちしっかりした文に書き換えられるはずです。 多分、数年後とかには。合っているかどうかも不安ですが、読めなくはないはず。
そのうち雑文も英語化できれば面白いかも知れませんがそこまでは少し遠いですね。

またTwitterにらくがき載せる日々かと思います。
あとはたまに無意味な雑文を上げるかと。気が向いたときにでもご覧頂ければ幸いです。



2021.10.23


Twitterにあげていた落書きを3枚載せました。どれもそのうち絵の具で描きたい。

そして、来週には展示が始まっています。
と、常に未来に生きている想定で生きられるのは幸せだなあと思ったり。

もう会わなくなった友人や、一度しか会ってない人のことも、生きている前提で「元気かなあ」と思い返したりするわけで。 それが当然という顔をして、考えることもなく生きてるなあとたまに感じたり。
生きるために生きているんだなあと。だから何だというわけでも無く、ただそう思っただけなのですが、 それは描くものにも言えるかなと思います。

自分が描く「誰でもあって誰でもない」顔の無い人物とガイコツは、 言うなればただの通行人や名無しの人やモブキャラなので、 「そこに在るから生きてる」ぐらいの感覚かなと。
さらに、メインのお祭りに参加しているエキストラではなく、そこから離れた、蚊帳の外に居る人々かな。 カメラにも映らない所に居る人。
その程度の人であって大層な理由なんか無い。それがどう見えるのかはその人次第ですかね。
そんな雰囲気の展示になるなんだろうなと思います。

展示はデザインフェスタギャラリー原宿にて、10/28-11/3まで。ハロウィンとか死者の日のあたりです。 壁面のみのスペースなので在廊はしません。
また、まだ外出に不安が残ると思いますので、Twitterでも作品を載せていきます。
お時間があれば、ご覧ください。よろしくお願いいたします。



2021.9.23


あと、ひと月ちょっとで展示。少しずつ進んでいるような進んでいないような。
日常で、時間が分断されるから今は出来ないなと思うことも多々あり。

と、言い訳じみたことを思って、ふと頭をよぎったのは、これは「そう思い込んでいる部分」はないのかということ。

今まで継続して「自分」を生きている中で、必ずこだわりみたいなものは出てしまっているんだよなあと思います。 実際に他者の事情や自分の体調、その他諸々で制約されてしまう部分もあるとしても、 「これはこうでなければ」と無意識に思いこんで固執している物事がある気がする。
そしてそれは自分で気づくのはちょっと難しいんだろうし、大抵は他人からスルーされる個々で解決すべきことだし、気づきが無ければ改めることもないよなあ、とも。

それが個々の個性だと言えばそうだけど、無駄にこだわってしまって、時間や物を無駄にしていることもありそうで自分はどうなのかなあと思ったり。
もしも、自分で無駄なこだわりを見つけても、それが癖になっていたり、日常と化していることは改善にも時間がかかりそう。

自分で気づけたとしても、「これでいいんだ」とまた思い込んで開き直っておしまい、ということもあるか。 まあ他者からしても「影響がなければ別にどうでもいいです」ってことで片付きそうだしな。
柔軟な考えを持つには、たくさんの言葉を聞く必要性があるだろうし、それを分析して解釈を深めて客観的にも見なければならないだろうし、 大抵は面倒くさがって自分の現在持っている情報で片付けてしまうよなあ。 今はネットですぐに調べられるとしても、その情報が正しいのか精査する必要性もあるし。

あとは「自分にとって本当に影響力のある人がそう言った(そうしている)から」とかでころっと考えが変わることもあるのかな。
当然のことながら、それはただの妄信であって、考えが柔軟なわけではないけど。

自分にとってそういう人物はいないので、それはそれで幸いかな。(というのも思い込みだったりね?)



2021.8.26


展示「level : 04」、まだ先ですが、出展者紹介載せていただきました。昨日申請して今日載せていただきました。迅速でありがたいですー。 → 出展者紹介

紹介ページに載せてもらった画像は配布用のチラシにも使うイラストです。 ピンクに青緑の色味は好きですが、配布用チラシは今年も茶色のクラフト紙かわら半紙に黒インクで一枚ずつ刷ります。
level:01からずっと手作業でチラシやってますのでそこそこ慣れてきました。といってもひたすらステンシルするだけですが。 エアブラシが良さそうかなとも思ったことがありますが、機器の手入れが面倒そうなので使わないかな。。

展示まであと2か月程度、こつこつ進めて参ります。



2021.8.1


8月ですね。なんだか何も出来ていないような気がして、早いなと感じます。何か残るものでも作れていれば振り返れるんですが。 無駄が多い気がするので、また時間の使い方を気にしていきます。

そして、暑いと色々やる気が起き無くなったりということもあるよなーと、気力について考えてみたり。
当たり前ですが、着手するときの熱量・気力が無ければ何もできないのだよな、と。 まあ、気力が無くても、習慣になっている人間として生きるために必要な最低限のことぐらいはやるかと思います。 もしもそれすら難しくなりそうだったらお医者さんにたよる形になると思いますが。

人間は獣と違う生き方をしていて、「生命を維持する」以上のことを日々やっていて、 こうして思ったことを文章にして誰かに伝えるのも体を生かすだけの生き方なら不必要ですし絵とかもいらない。 それでも自分が絵を描いたり文章書いたりしているのは何かしらの熱量・熱源・気力があって続いているわけで。
その原動力が何か考えると、前にも書きましたが「絵を描くのをやめないことを期待している自分がいるから」と、 大本は単純に面白いから、精神的に満たされるからなんだろうなと。

自分自身は「制作過程が楽しい」という方が次につながるほうだと思うので。苦じゃなく次が出来ることは貴重だなと思う。 あえて苦しいことをすることで達成感は増すこともあるだろうし、効果も多いこともあるだろうけど。 その場合は必ず苦しかった過程以上に達成感や得る物が多くなければならないような気がしてしまって、 一度の失敗で折れそうな精神状態だと難しいのだろうなあと思ったり。

あと、単純な体力面的にも。 脳みそも内臓で(医学的には神経系?どのみちお肉ということで)苦しいことは体力を使うと思うので元気がなけりゃ難しそう。 元気だけで何でもできるとは思いませんが、基本要素は元気・気力なんだろうなとか。

肉体的にも精神的にも全てを自分だけの時間として使えるようになったら何をするかなとか考えたりもしますが、 今あるのは現在だけで時間が過ぎることは変わらないので、出来る限りをやりきるだけですね。



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